マルティン・ブーバー『我と汝 』から読みとく「なぜ、あなたは生きづらいのか」

5/29 (月)19:00 - 20:30 宮台真司特別講演 マルティン・ブーバー『我と汝 』から読みとく「なぜ、あなたは生きづらいのか」代官山蔦屋書店

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【内容紹介】
ブーバーの『我と汝』を読み解く講演会を開催します。
なぜ今ブーバーなのか。なぜ本書なのでしょうかー。普遍的名著をどう読み解くのか、どうぞ奮ってご参加ください。

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入替可能なそれreplacable itと入替不能な汝irreplacable youの対比で「親密圏」を初めて定義した、戦間期のブーバーの名著『我と汝』。戦後に書かれたフロムの『愛するということ』と並んで、娘の結婚に際して父親が結婚相手の男に本書を送る営みが、かつて日本にもあった。ことほどさように、愛する相手を大切にするとはどういうことかという文脈で捉えられることが多いが、射程を過小評価している。

 

産業革命による都市化がもたらした人間関係の変化──匿名圏や没人格圏の拡がり──を危惧する思考系列がある。カント、ウェーバーフッサールハイデガー、ブーバー、マッキーバー、フロム、ハーバマスと並べれば、「あっ」と思う向きも少なくないはずだ。なかでもブーバー『我と汝』は結婚式の贈り物になる程だから、一番平易で、そのぶん「都市化がもたらした意味論」の分析素材として適している。

 

フロムの同時代人リッターの埋め合わせ理論は「自明だったものが失われた時、失われたものが概念化されるものの、かつて自明視されていたものとは似つかない何かに変じる」とし、「自然」概念が典型だとした。自然は「発明」された。同じ図式を「入替不能な汝」の概念にも適用したのが、ハーバーマスの同時代人ルーマン。匿名圏が親密圏を削ったのではなく、自明な共同性の消失で親密圏が「発明」された。

 

これは、ウェーバーの没人格論を踏まえてシステム世界(没人格圏=市場と行政)による生活世界(人格圏=相互扶助)の侵食を憂えたハーバマスへの、批判である。確かにそこには生活世界の神話的美化がある。だが、中動の自動性が、能動の主体的選択になった以上、当然だ。そこで、ルーマンとの論争での敗北後のハーバマスは、システム世界に汚された、無垢ならぬ生活世界概念を、擁護する構えに転回した。

 

以上の入り組んだ経緯がブーバーを論じにくくしたが、ハーバマスの転回で障害は無害化された。今日では分子遺伝学と進化生物学の発展で、自らを24時間「入替可能なそれ」だと意識する者が、①孤独に苛まれること、②孤独が体の免疫力を弱めること、③孤独が心の鬱化と被害妄想化(外部帰属化)をもたらすことが、明らかになった。それらが今日、無差別殺傷事件の温床や、民主政危機の温床になってもいる。

 

実は、中2の時に倫社の先生から勧められたブーバーが、後の僕を方向付けた。85年から11年間の「ナンパ地獄」の体験もブーバーの読み直しで反省した。今は、ナンパ界隈どころか若い人の大多数がキャラ&テンプレの性愛関係で「入替可能なそれ」として扱われ、親密圏の消失ゆえの孤独に苦しんでいる。加えて、社会全域で「入替可能なそれ」として扱われる予感が、大量の「ひきこもり」を生んでもいる。

 

ブーバー曰く「入替可能なそれ」として扱われてきた者は、他者を「入替可能なそれ」として扱い返す。だからこそ、「中国人は敵」「日本スゲエ」の類の右翼とは似て非なる排外主義者や、「男の性欲は敵」「AV嬢は被害者」の類のフェミニズムとは似て非なる差別主義者が、カテゴリにステレオタイプを結合する「それ化」を蔓延させている。今こそブーバーを起点に「感情的劣化の普遍的必然性」を論じ尽くそう。
(文責:宮台真司

 

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