「FAKE」


観客は最初、マスコミが作り上げたリアリティがガラガラ音を立てて崩れるのを感じる。
だから当初は「マスコミ=悪/森達也=善」という森達也らしからぬ二元図式を見出そう。
だがしかし、「我々が期待する真実」が「コレだ」と指し示される瞬間は最後まで訪れない。
むしろ我々は迷宮へと誘われ、収拾しようのない混沌の只中に放置されることになろう。
本作に於いてゴーストライター事件は、寓意を指し示すメタファー以上のものではない。
問題は、その寓意──「世界は確かにそうなっている」という納得──が指し示す内容だ。
観客はそこに「社会は一つの(悪)夢のようなものだ」という森達也特有の感覚を見出そう。
その(悪)夢は、善悪二元論や真偽二元論や美醜二元論によって言語的に構成されている。
森達也はこの言語システムの作動クロックに同期できず、いつも反応が遅れる未熟児だ。
だから社会批判の能動性より、社会という夢にシンクロできない受動性が際立つだろう。
だがその結果「知らないうちに自分たちはプログラムされている」との感覚がせせり出す。
本能が未発達なまま生誕するヒトは、実は誰もが外傷的にプログラミングされる他ない。
本作は、我々が社会を生き始めるに際して受け取った外傷体験を強制的に思い出させる。
そう、社会は間違いなく、善悪や真偽や美醜の二元論で言語的に構成された悪夢なのだ。


宮台真司 社会学


コメント|映画『FAKE』公式サイト|監督:森達也/出演:佐村河内守