悪という希望――「生そのもの」のための政治社会学

悪という希望――「生そのもの」のための政治社会学

悪という希望――「生そのもの」のための政治社会学


〈悪〉とは何か――。 人々を脅かす避けるべき〈悪〉、その一方で人々を魅了する〈悪〉。 我々が甘受すべき、「よりマシな〈悪〉」とは何か。 教育、社会、宗教、政治などを主題に、〈悪〉について考察する。 「よりマシな悪」の思考が、現代社会の閉塞を打開するかすかな道を照らす。 「たとえ極めてスキャンダラスな宣言と思われようとも、我々がこの小著において試みようとすることの第一は、〈悪を擁護すること〉、これである。悪は、人々を脅かし、嫌悪の情を湧きあがらせる。しかしまた別の一面の真実として、それは、しばしば人々を魅了する。悪の経験は、実に不確実性の経験である。しかし/そしてその不確実性は、人々を脅かすものであると同時に、ときに人間の自由の表徴であり、積極的なものであり、ちからであり、豊かさであり、変革の可能性でもあって、そうであるからこそ我々は、極めて注意深くではあるが、それでもそれをなにがしか希望でもありうるものとして、擁護したい。」 (「序論―悪の擁護、あるいは民主主義についてのノート」〈神代健彦〉より)


生そのものの政治学: 二十一世紀の生物医学、権力、主体性 (叢書・ウニベルシタス)

生そのものの政治学: 二十一世紀の生物医学、権力、主体性 (叢書・ウニベルシタス)