ゴジラとアトムと角栄と原発大国

マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。


http://www.videonews.com


■マル激トーク・オン・ディマンド 第526回(2011年05月14日)
 ゴジラ鉄腕アトム田中角栄原発大国への道
 ゲスト:武田徹氏(ジャーナリスト)


http://www.videonews.com/asx/marugeki_backnumber_pre/marugeki_526_pre.asx


 日本は地震国で津波も多い。海に囲まれた国土は狭く、平地面積も少ないため、もし
もの時に逃げる場所がほとんどない。その上、日本はそもそも世界で唯一の被爆国とし
て、原子力の恐ろしさを誰よりも知っている。よりによってその日本が、なぜこともあ
ろうに原発大国への道を選んだのか。この謎はそう簡単には解き明かせそうにない。
 しかし、マル激の司会でお馴染みのジャーナリスト武田徹氏は、著書『わたしたちは
こうして「原発大国」を選んだ』の中で、ゴジラ鉄腕アトムから大阪万博を経て田中
角栄電源三法、そして今日の福島に至る道のりを丁寧に辿っていくと、なるほどどう
して今日日本が、54基もの原発を抱える世界有数の原発大国になっていったのか、少な
くともその道程が見えてくると言う。
 今週のマル激は武田氏をゲストに迎え、その謎解きに挑んでみた。
 まず武田氏は、日本は被爆国であるが故に、原子力の威力を日本ほど痛感している国
はないと指摘する。日本国憲法の起草の過程で、GHQのホイットニー准将が「戦争放棄
の条文を含んだGHQ憲法草案を呑ませるために、吉田茂外相ら日本の交渉団に対して口
走ったという「原子力の日光」の一言は、当時唯一の核保有国だったアメリカの権勢を
象徴する一言として、戦後の日本の針路に決定的な影響を与えることになる。
 水爆が生んだとされる怪獣ゴジラ原子力で動くロボットの鉄腕アトムなども、今で
は単なる特撮映画や漫画のキャラクターとしてお馴染みだが、実はそのオリジナルのス
トーリーでは、当時の日本人の原子力に対する複雑でアンビバレントな感情を色濃く反
映していると武田氏は言う。
 しかし、原子力の威力も怖さも知っている日本が、最初に原子力開発への第一歩を踏
み出したきっかけは、どうやらアメリカの意向だったようだ。1951年にサンフランシス
講和条約が締結され、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連演説の中で原子力の平
和利用を提唱した1953年、日本では原子炉建造予算2億3500万円が国会で可決している
が、その予算案を改進党の中曽根康弘代議士が提出したのは、何と日本の第五福竜丸
被爆したアメリカによるビキニ環礁の水爆実験の二日後だった。
 当時日本では科学者たちは、被爆国である日本が原子力開発を進めるべきか否かにつ
いて、激しい論争が繰り広げられていた。その頭越しに、しかもアメリカの水爆実験の
直後に国会で原子力予算が計上されたのは、ひとえにアメリカの意向を汲むものだった。
そして、アメリカがそこまで日本に原子力発電を奨めた理由は、冷戦下における自由主
義陣営に原子力の果実の分け前を与えることで、日本などの同盟国の共産化を防ぐ意図
があったのだろうと武田氏は言う。
 畏怖と憧れが同居する中で、予算だけが先行して計上される形で歩みを始めた日本の
原子力に対する感情を大きく変化させたのが、大阪万博だった。日本の高度成長と技術
の進歩に対する自信の回復を象徴する大阪万博は、そもそも原発から電力が供給されて
いたが、そこではもっぱら技術が人類にもたらす輝く未来が強調され、その陰やマイナ
ス面に人々は目を向けようとしなかった。日本でも1960年代から続々原発の建造が始ま
っていたが、既にこの段階で原発は様々な問題を起こしていた。しかし、そこから生ま
れる大きなエネルギーがもたらす豊かさに人々は目を奪われ、その負の遺産に気づかな
かったか、あるいは気づいていても見て見ぬふりをしてしまった。
 ビデオニュース・ドットコムで毎週福島原発の現状を解説している京都大学原子炉実
験場の小出裕章助教が、東北大学原子力を志し、そしてその矛盾に気づいたのも、ちょ
うどこの頃のことだった。『マル激トーク・オン・ディマンド第524回(2011年04月30日
原子力のこれまでとこれからを問う』
 そして、田中角栄首相の登場で、原子力政策は決定的な変質を迎える。日本列島改造
論の一翼を担う形で実施された電源三法電源開発促進法、電源開発促進対策特別会計
法、発電用施設周辺地域整備法)は過疎地への原発の誘致が完全に利権として定着する
きっかけを作ってしまった。
 これもまた、自民党脱原発を明言する数少ない政治家の一人、河野太郎衆議院議員
が、4月30日のマル激の中で語った「自民党原発関係の勉強会や部会には、原発を誘致
した地元の議員しか来ていないため、エネルギー政策の議論を終ぞしたことがない」と
符合する。『マル激トーク・オン・ディマンド第524回(2011年04月30日)原子力のこれ
までとこれからを問う』
 それ以降、日本の原子力政策は、エネルギー政策という表の顔のほか、地元への利益
誘導や過疎地への再分配政策という裏の顔を併せ持つ形で、今日まで推進されてきたこ
とになる。
 今回のマル激では更に、原子力政策の安全保障面での妥当性についても議論を試みた。

<今週のニュース・コメンタリー>
・1号機メルトダウンで工程表は振り出しに
 解説:小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教
・政治の声は福島に届いているか
 報告:藍原寛子氏(医療ジャーナリスト)
ビンラディン殺害劇に見るアメリカの異常性
 解説:菅原出氏(国際政治アナリスト)

■特別番組 (2011年03月16日)
 東日本大震災
 
■マル激トーク・オン・ディマンド 第524回(2011年04月30日)
 5金スペシャ
 原子力のこれまでとこれからを問う
 ゲスト(PART1):小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教
 (PART2):河野太郎氏(衆院議員)、武田徹氏(ジャーナリスト)
 (PART3):細野豪志氏(衆院議員、福島原発事故対策統合本部事務局長)
 

■マル激トーク・オン・ディマンド 第337回(2007年09月14日)
 なぜ地震大国の日本が原発なのか
 ゲスト:田中三彦氏(元原子炉製造技術者)
 

■マル激トーク・オン・ディマンド 第317回(2007年04月27日)
 見えてきた原発政策の限界
 ゲスト:伴英幸氏(NPO法人原子力資料情報室共同代表)
 

■マル激トーク・オン・ディマンド 第178回(2004年08月20日
 美浜原発事故を関電問題で終わらせていいのか
 ゲスト:槌田敦 名城大学教授 (熱物理学・環境経済論)
 

スペシャルリポート (2011年05月12日)
 空焚き1号機は溶融した核燃料が圧力容器の外に
 小出裕章京都大学原子炉実験所助教に聞く
 

■インタビューズ (2011年03月20日
 予言されていた“原発震災”
 広瀬隆氏インタビュー
 

■プレスクラブ (2011年05月13日)
 福島原発事故対策統合本部記者会見
 

■プレスクラブ (2011年05月10日)
 福島原発巨大事故 今何が必要か