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もうすぐ店頭に並ぶ「日本の難点」ですが、その「はじめに」を公開します。
質問を寄せていただく際にも、是非参考になればと思います。

引き続き、イベントで宮台氏にぶつける質問をお待ちしておりますので、よろしくお願いします!詳細はこちらまで!
質問募集中! - 宮台真司の「日本の難点」

日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

はじめに

「評価の物差し」をどう作るか

 僕は今年(二〇〇九年度)、サバティカル(長期休暇)をとる予定です。久しぶりにゆっくり、休養をとったり、まとまったインプットをしようと思っていました。でも、なかなかそうはいかず、学生たちの熱心な要望があって、「日本戦後思想と郊外論」「現代政治哲学最前線と米国論」の私塾を開講することにしました。
 月一回、朝から晩まで一〇時間の講座です。「日本戦後思想と郊外論」は前半五時間分の「学部生向け」講座。「現代政治哲学最前線と米国論」は後半五時間分の「大学院生向け」講座。なぜ、この前者が学部生向けで、後者が大学院生向けなのでしょうか。本書の「目に見えない構成」と関係するので、お話ししてみましょう。
 「学部生向け」が「日本戦後思想と郊外論」であるのは、我々が日本人なので、「日本戦後思想と郊外論」を踏まえた方が、「現代政治哲学最前線と米国論」を評価する際の価値の物差しが得られるからです。何がいいのか悪いのかという評価なくして、米国論をなす意味はあり得ないでしょう。
 これに関連して、政治哲学「最前線」と名付ける理由は、政治哲学や社会思想の最前線では、一九九四年あたりから、政治―政治とは何なのかは後で論じます―を評価する価値の物差しが収束しはじめ、二〇〇一年の九月一一日以降は、もはや誰の目にもはっきりするようになりました。
 収束しつつある物差しは、論者によって「欧米的普遍主義から普遍的普遍主義へ」とか「リベラリズムの普遍的構想から政治的構想へ」とか「個別主義から個別主義的普遍主義へ」とか、いろんな呼ばれ方をしています。思い切ってまとめれば、おおまかには二つの焦点があるように思います。
 第一の焦点は、左翼が推奨してきた多文化主義―近代の普遍主義も数多ある文化の一つに過ぎないとして普遍主義を相対化する立場―を徹底的に否定することです。どういう種類であれ残虐を見て見ぬふりを許さぬためには、誰であれどこであれ(普遍的に)それは許されないと主張できなければいけない。
 第二の焦点は、今の話と一見矛盾しますが、これこそが普遍的だと言えるものは永久にあり得ないという立場をとることです。せいぜいアレよりもコレの方が普遍的だという具合にその都度の相対的な主張が可能だ―正確に言えば多くの人々を説得できることがある―という程度に過ぎません。
 分かりやすくまとめて言えば「普遍主義の不可能性と不可避性」、もっと詳しく言えば「普遍主義の理論的不可能性と実践的不可避性」ということになります。不可避性と不可能性のギャップを、どう実践的=理論的に「橋渡し」するかが、現代政治哲学の最前線の課題だと断言できるわけです。
 そうした流れの駄目押しが、二〇〇八年九月以降の米国発の金融危機です。いずれサブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)が支える住宅バブルが炸けて金融危機が起こることは、素人を含めて多くの人間が確信していたので、金融危機が起こったこと自体については、誰も驚いていないでしょう。
 金融危機が起こる前から、米国には、どんなメカニズムが金融バブルを支え、どのようにしてそれが炸けるのかについて考察していた学者たちがいます(ラグラム・ラジャンなどが代表的)。にもかかわらず、なぜ今のような状況になってしまったのでしょうか。キーワードは「社会の底が抜けた」です。                       実は、どんな社会も、社会がその形をとるべき必然性はありません。つまりは恣意的で、その意味では「底が抜けて」います。この恣意性は消去できません。しかし、従来は恣意性を乗り越える、あるいはやり過ごす働きを、多くの社会が内蔵してきました。それが壊れてしまったのです。
 僕が専門にしている社会システム理論では、どんな社会も「底が抜けて」いることを、諸個人の意識に還元せずに、諸個人の意識の前提となる何ものかを、システムの概念で記述します。それとは別に「底が抜けて」いることをやり過ごすメカニズムが壊れていく過程を、〈システム〉の全域化による〈生活世界〉の空洞化と記述します。どういうことでしょうか? 
 一九六〇年代半ばまでに、人文知の領域の学者たちの間で"どんな社会も「底が抜けて」いること"が明らかになりました。それから五年ないし一〇年遅れて、普通の人たちの間で“社会の「底が抜けて」いること”が理解されました。つまり、やり過ごしや覆い隠しのメカニズムが壊れてしまったのです。
 社会の「底が抜けて」いるという事実と、その事実に気付いてしまうということは、別の事柄です。「ポストモダン化」という場合には、後者を意味します。分かりやすく言えば、誰もが"社会の「底が抜けて」いること"に気付いてしまうことが、「ポストモダン」という概念の肝なのです。
 なぜ、最初は人文知の領域の学者たちが、そしてやがて誰もが、"社会の「底が抜けて」いること"に気付いてしまったのか。理由は「郊外化」です。「郊外化」とは図式的に言えば、〈システム〉(コンビニ・ファミレス的なもの)が〈生活世界〉(地元商店的なもの)を全面的に席巻していく動きのことです。
 だからこそ、まず自分に身近なところで「郊外化」が何をもたらしたかを実感した上で、次にそれが日本の思想に―ひいては世界の思想に―何をもたらしたかを考えてほしいのです。そうした思考系列の中に米国(的なもの)を置く。そうすると、かつての大恐慌と異なる今回の金融危機の意味を含めて、いろんなことが分かります。
 僕が"「日本戦後思想と郊外論」から「現代政治哲学最前線と米国論」"というプログラムを設定する理由は、そうしたところにあります。


恣意性からコミットメントへ

 先に紹介した「収束しつつある物差し」が意味するところを一言で言えば、「相対主義の時代の終わり」です。相対主義の時代が終わっただけでなく、相対主義に対抗して「絶対的」なものへのコミットメント(深い関わり)を推奨するような素朴な立場があり得た時代も、終わりました。
 相対主義の否定が不可能だと知りつつ相対主義を「あえて」否定するしかない―「普遍主義の不可能性と不可避性」とはそうしたことです。僕が今世紀に入ってから「ベタからネタへ」という言葉でアイロニズム(全体を部分に対応させつつ全体を志向すること)を推奨してきたのもそうしたことが背景です。
 振り返ると、ポストモダン化を予兆して「境界線の恣意性」を問題にした二〇世紀的人文知(言語ゲーム論やシステム理論)から、一九九四年あたりから専門家に知られ二〇〇一年以降人口に膾炙(かいしゃ)した「コミットメントの恣意性」を問題にする二一世紀的人文知へと、転回したことになります。
 「境界線の恣意性」とは、「みんなとは誰か」「我々とは誰か」「日本人とは誰か」という線引きが偶発的で便宜的なものに過ぎないという認識で、先に述べた相対主義にあたります。かつて流行した「社会構築主義」や「脱アイデンティティ」といった物言いもこの系列に属します。
 「境界線の恣意性」はコミットメントの梯子外しをもたらします。 これに対し、「コミットメントの恣意性」は、「境界線の恣意性」については百も承知の上で、如何にして境界線の内側へのコミットメントが可能になるかを探求することが大切だという認識です。認識が実践的には逆方向を向いていることが大事な点です。
 分かりやすく言えば、「境界線の恣意性」を問題にする段階が「素朴に信じてはいけない」という否定的メッセージだとすると、「コミットメントの恣意性」を問題にする段階は、対照的に、こうした否定性への自制や自覚を持ちつつ「コミットメントせよ」という肯定的メッセージなのです。
 「恣意性に敏感であれ!」という段階から「恣意性を自覚した上でコミットせよ!」という段階への変化です。これがなぜ起こったのか。それがとても重要です。先ほど一九九四年という年号を挙げましたが、こうした変化は、「"人間"は死んだ」という形で西欧近代の主体概念に疑義を呈したミッシェル・フーコーによって、実は先取りされていました。 フーコーによる先取りの意義は日本ではちゃんと理解されているとは言えませんが、一言で「主体から美学へ」と名付けられます。さらに言えば、フーコーは、[初期ギリシア→初期ロマン派→ニーチェハイデガーアドルノ]という系譜を遡って、初期ギリシアを参照しています。
 こうした参照の系列を踏まえた上で、ポリスが急激に没落する時代のストア派(の美学)に思いを寄せるのが、フーコーなのです。その意味で「恣意性からコミットメントへ」という転回は、実は幾度か繰り返されてきた反復です。だから、なぜ転回が起こったかという問いは、二つに分解されます。
 第一の問いは、そうした反復がなぜあるのか。第二の問いは、反復の一サイクルがなぜ最近(一九九四年から数えてここ一五年、フーコーから数えてここ四〇年)起こったのか。問いへの答えは別の機会に譲りますが、ここでは、日本人が浸されている特別の事情についてだけ述べておきましょう。
 丸山眞男が述べた「作為の契機(人が作ったという自覚)の不在」がヒントです。戦後、日米の蜜月関係が「太陽が東から昇って西に沈む」のと同じく永久に続くと思われるようになり、あえてコミットメントしなくても社会が自然のように続くだろうと見倣す感覚が一般的になりました。
 ところが、九・一一への杜撰な対応以降の米国の政治的凋落、そして直近の金融危機が象徴する米国の経済的凋落を契機として、米国が米国であることの自明性、米国が親日的であることの自明性(日米安保体制の自明性)、日本の存続可能性の自明性などが、一挙に崩れてきたわけです。
 踏み込んで言えば、「対米追従と国土保全とが両立しないこと」「日本社会の空洞化と米国的なものの拡がりの間に関係があること」が自覚されるようになりました。ただし、先のポストモダンの話に似ていますが、実は自覚されるようになる以前に、一九八八年頃から上記の命題が現実化しはじめたのです。
 その結果、我々は、国土保全(を通じた社会保全)という柳田國男的な課題を―すなわちコミットメントを通じた政治共同体の保全を―自覚せざるを得なくなりました。ほかならぬこの日本においても「恣意性からコミットメントへ」という課題が、広汎に浮上してくるようになったわけです。


「本書の読み方」

 こうした形で、この日本で共有されつつある課題意識をより一層急速に共有化するべく―歴史の推転を早めるべく―この本が書かれました。この課題意識を「現状→背景→処方箋」という三段ステップで理解していただくために、以下のような五章だての構成になっています。
 一章・人間関係はどうなるのか(コミュニケーション論・メディア論)、二章・教育をどうするのか(若者論・教育論)、三章・幸福とはどういうことなのか(幸福論)、四章・アメリカはどうなっているのか(米国論)、五章・日本をどうするのか(日本論)という順番です。
 ただし全ての問題を網羅的に論じる代わりに、必要不可欠な急所だけを押さえることで、ほかならぬ「この社会」を―「この社会」を論じる最先端の枠組を―知るためのエッセンスが得られるように考えられています。
 だからといって、この本を順番通りに読まなければならないということはありません。各項目ごとにできるだけ分かりやすく凝縮して、それだけで完結するようになっているので、好きなところから読んでもらっても、物事を理解する上での筋道が得られるはずです。 実は、この本は、そんなふうにどの項目から読んだとしても、一つひとつがストーリーのように読めますし、また、いくつかの項目を組み合わせたとしても、あるいはまた、全体を通して読んでも、大丈夫なように作ってあります。
 そんなふうに好きな形でこの本をお読みいただき、冒頭に述べたような、「この社会」を論じるための「評価の物差し」を持つための手がかりをつかんでもらえば、著者としてこれほどうれしいことはありません。
 前置きが長くなりました。僕と一緒に「この社会」を知るための旅に出かけることにしましょう。そう、この本で目指されているのは、いったん「この社会」の直接性から離れた上で、再び「この社会」へと向かうための、いわば「往って、還ってくる」旅なのです。